29日の衆院代表質問で、自民党の細田幹事長と民主党会派の田中真紀子・元外相が、用意した原稿にはないアドリブによる毒舌合戦を繰り広げた。
「国民の皆様に申し上げる。高速道路料金が引き下げられるのは、野党が参院で関連法案を通した時からだ。今、高速道路に乗っちゃいけません」
細田氏は、質問の随所に民主党批判を追加。2008年度第2次補正予算関連法案の成立の遅れで追加景気対策が執行できないと訴え、「参院で法案を通しなさい!」と語気を強めた。
民主党の政策も「空理空論的」「公党としての責任を回避するもの」などとこき下ろした。
◇
続いて登壇した田中氏は、「(細田氏は)演説のお手本を先輩として示して下さった。強弁の仕方を教えていただいた」と反撃。麻生首相に対しても、「今のままではただ高そうな背広を着ているおじさんのままで終わってしまう」などと、約30分間にわたり責め立てた。
ただ、質問に対する首相の答弁時間はわずか7分程度で、与党だけでなく野党からも「追及が空回り気味」との声も出るなど、田中氏の初の代表質問には辛口の採点が多かった。
衆院は29日午後の本会議で、麻生首相の施政方針演説に対する各党代表質問を行い、2009年度予算案を巡る与野党の論戦がスタートした。
最初に質問に立った民主党の鳩山幹事長は、首相が目指す11年度からの消費税率引き上げについて、「(税金の)無駄遣いや天下り、ばらまきの排除を徹底しない限り、増税議論は国民の理解を得られず、国民経済の足を引っ張る」と反対する意向を表明。税率の引き上げ幅などの見解をただした。
国家公務員が公益法人などに天下りを繰り返す「渡り」を容認する政令についても撤回を主張。早期の衆院解散・総選挙を求めた。民主党には、消費税増税や天下り問題を厳しく追及することで、自民党内の対立を再燃させたい狙いがある。
鳩山氏は、自民党の細田幹事長、公明党の太田代表の見解も要求。民主党からは同党会派に所属する無所属の田中真紀子・元外相も質問に立ち、政権への対決姿勢を前面に押し出す。小沢代表は質問を見送った。
一方、与党は細田氏が質問。予算案に盛り込まれた経済対策の詳しい説明を求め、景気回復への取り組みをアピールする。
代表質問は30日に衆参両院、2月2日には参院で行われる。
雇用保険に一定期間加入していた人
Thu 22 Jan’09
<埼玉県川口市の女性(28)の場合>・派遣社員として4月から勤務している。最近では「派遣切り」のニュースが多く、不安を抱いている。・派遣社員でも失業給付はもらえるか? 万一退職することになった場合、気をつけることは?
雇用保険加入が条件
失業給付は、雇用保険に一定期間加入していた人が退職後、働く意思と能力があるにもかかわらず就職できない場合に給付され、アルバイトや派遣でも条件を満たせば受給できます。
ただ、退職の理由により、受給条件や内容に差が出てくるので注意が必要です。
倒産やリストラによる離職者は「特定受給資格者」となり、受給条件が優遇されます。また、自己都合による退職でも、ハローワークで正当な理由があると認定されると特定受給資格者となります。
通常、受給するには、離職日以前2年間に通算して12か月以上、雇用保険に加入している必要があります。しかし、特定受給資格者の場合、加入期間が離職日以前1年間に6か月以上あれば受給が認められます。
また、受給開始は通常、受給資格を受けてから7日の待機期間、3か月の給付制限期間を経た後になりますが、特定受給資格者は、7日間の待機だけで給付を受けることができます。さらに雇用保険の加入期間によっては給付日数も優遇されます。
なお、出産や病気などで退職し、すぐに働くことができない場合は失業給付を受けられません。この場合は、受給期間延長申請をハローワークに提出し、働ける状態になったら、再度受給申請を行います。(
雇用保険加入が条件
失業給付は、雇用保険に一定期間加入していた人が退職後、働く意思と能力があるにもかかわらず就職できない場合に給付され、アルバイトや派遣でも条件を満たせば受給できます。
ただ、退職の理由により、受給条件や内容に差が出てくるので注意が必要です。
倒産やリストラによる離職者は「特定受給資格者」となり、受給条件が優遇されます。また、自己都合による退職でも、ハローワークで正当な理由があると認定されると特定受給資格者となります。
通常、受給するには、離職日以前2年間に通算して12か月以上、雇用保険に加入している必要があります。しかし、特定受給資格者の場合、加入期間が離職日以前1年間に6か月以上あれば受給が認められます。
また、受給開始は通常、受給資格を受けてから7日の待機期間、3か月の給付制限期間を経た後になりますが、特定受給資格者は、7日間の待機だけで給付を受けることができます。さらに雇用保険の加入期間によっては給付日数も優遇されます。
なお、出産や病気などで退職し、すぐに働くことができない場合は失業給付を受けられません。この場合は、受給期間延長申請をハローワークに提出し、働ける状態になったら、再度受給申請を行います。(
— posted by サイト管理者 at 07:19 pm
元派遣社員の声
Sat 10 Jan’09
炊き出しに列を作る人たち(4日午後5時55分、東京・日比谷公園で)=高橋はるか撮影 受け入れ施設 500人分を確保
東京・日比谷公園には4日も、「年越し派遣村」を頼って、職を失った人が次々とやって来た。「簡単に契約を切らないで」。身を寄せ合って年末年始をしのいだ人たちは、5日の仕事始めを前に、企業や国に対する切実な訴えを口にした。
派遣村を訪れた人たちの中には、派遣会社と契約していた元派遣社員だけでなく、派遣会社の正社員だった人の姿も。先月10日に都内の派遣会社をリストラされた元正社員の男性(34)は、次の仕事も住居も決まっておらず、「国は仕事を増やす努力を」と熱望。先月23日に愛知県内の派遣会社を解雇された元正社員の男性(30)は「弱者の気持ちが分からない行政に望むことはない。自分で行動して解決するしかない」と話した。
秋葉原無差別殺傷事件で殺人罪などで起訴された加藤智大被告と、静岡県内の自動車工場で同僚だったという男性(34)も、先月25日付で契約を打ち切られ、派遣村を頼ってきた。5年前に結婚を約束した女性がいるが、「今の状況では、一緒に暮らすことすらできない」と肩を落としていた。
派遣村の実行委員会によると、12月31日~4日午後6時までに、同村で弁護士などが対応した生活・労働相談の件数は計321件。年齢も20~70歳代と幅広く、「生活保護申請をしたいがどうしたらいいか」という相談が多かったという。昨年10月末に梱包(こんぽう)作業の仕事を打ち切られた50歳代の元派遣労働者が、70歳代の母親を連れて野宿を繰り返していたケースもあった。相談後、母親は衰弱が激しいとして入院したという。
◇
「年越し派遣村」実行委員会が4日午前にまとめた集計によると、同村に登録した元派遣社員らは3日夜までに410人。このうち厚生労働省の講堂に約260人、同公園内のテントに約140人が宿泊した。4日も新たな登録者が相次ぎ、最終的に500人近くになる見通しという。
実行委などによると、5~12日の間、都や中央区が用意した都内4か所の施設で500人分の受け入れ先が確保されたという。
元派遣社員の声(いずれも男性。日付は昨年。カッコ内は直前の勤務地、年齢)
12月27日まで自動車製造工場に勤務。寮も退去させられた。自力で仕事を見つけるのは難しく、中ぶらりんの状態だ。企業は最低限の契約を守ってほしい。(愛知、42歳)
11月まで自動車工場でエンジン機械加工を担当。求人誌などをみて面接に行ったが、1件は年齢で断られ、もう1件は連絡すらない。もう涙は出尽くした。(栃木、47歳)
11月末までプリンター製造工場に勤務。料金滞納で携帯電話も止められた。自分の年を考えると、無職となったことは会社や社会のせいばかりとは言えない。(埼玉、39歳)
12月20日までテレビ製造工場に勤務。ネットカフェや公園で寝泊まりしていた。福祉関係の仕事に就きたい。行政には、資格取得の支援をしてほしい。(三重、29歳)
12月27日まで工場でフォークリフトを運転。寮付きの仕事は契約が切られると、住まいも失うので嫌だ。労働者を簡単に切ることが出来ない法律を作ってほしい。(滋賀、54歳)
12月末まで自動車製造工場に勤務。都内のネットカフェで過ごしているうちに、所持金が底をついた。派遣会社から次の仕事も来ない。生活保護を受けたい。(神奈川、36歳)
東京・日比谷公園には4日も、「年越し派遣村」を頼って、職を失った人が次々とやって来た。「簡単に契約を切らないで」。身を寄せ合って年末年始をしのいだ人たちは、5日の仕事始めを前に、企業や国に対する切実な訴えを口にした。
派遣村を訪れた人たちの中には、派遣会社と契約していた元派遣社員だけでなく、派遣会社の正社員だった人の姿も。先月10日に都内の派遣会社をリストラされた元正社員の男性(34)は、次の仕事も住居も決まっておらず、「国は仕事を増やす努力を」と熱望。先月23日に愛知県内の派遣会社を解雇された元正社員の男性(30)は「弱者の気持ちが分からない行政に望むことはない。自分で行動して解決するしかない」と話した。
秋葉原無差別殺傷事件で殺人罪などで起訴された加藤智大被告と、静岡県内の自動車工場で同僚だったという男性(34)も、先月25日付で契約を打ち切られ、派遣村を頼ってきた。5年前に結婚を約束した女性がいるが、「今の状況では、一緒に暮らすことすらできない」と肩を落としていた。
派遣村の実行委員会によると、12月31日~4日午後6時までに、同村で弁護士などが対応した生活・労働相談の件数は計321件。年齢も20~70歳代と幅広く、「生活保護申請をしたいがどうしたらいいか」という相談が多かったという。昨年10月末に梱包(こんぽう)作業の仕事を打ち切られた50歳代の元派遣労働者が、70歳代の母親を連れて野宿を繰り返していたケースもあった。相談後、母親は衰弱が激しいとして入院したという。
◇
「年越し派遣村」実行委員会が4日午前にまとめた集計によると、同村に登録した元派遣社員らは3日夜までに410人。このうち厚生労働省の講堂に約260人、同公園内のテントに約140人が宿泊した。4日も新たな登録者が相次ぎ、最終的に500人近くになる見通しという。
実行委などによると、5~12日の間、都や中央区が用意した都内4か所の施設で500人分の受け入れ先が確保されたという。
元派遣社員の声(いずれも男性。日付は昨年。カッコ内は直前の勤務地、年齢)
12月27日まで自動車製造工場に勤務。寮も退去させられた。自力で仕事を見つけるのは難しく、中ぶらりんの状態だ。企業は最低限の契約を守ってほしい。(愛知、42歳)
11月まで自動車工場でエンジン機械加工を担当。求人誌などをみて面接に行ったが、1件は年齢で断られ、もう1件は連絡すらない。もう涙は出尽くした。(栃木、47歳)
11月末までプリンター製造工場に勤務。料金滞納で携帯電話も止められた。自分の年を考えると、無職となったことは会社や社会のせいばかりとは言えない。(埼玉、39歳)
12月20日までテレビ製造工場に勤務。ネットカフェや公園で寝泊まりしていた。福祉関係の仕事に就きたい。行政には、資格取得の支援をしてほしい。(三重、29歳)
12月27日まで工場でフォークリフトを運転。寮付きの仕事は契約が切られると、住まいも失うので嫌だ。労働者を簡単に切ることが出来ない法律を作ってほしい。(滋賀、54歳)
12月末まで自動車製造工場に勤務。都内のネットカフェで過ごしているうちに、所持金が底をついた。派遣会社から次の仕事も来ない。生活保護を受けたい。(神奈川、36歳)
— posted by サイト管理者 at 02:43 pm
官軍を退けることができた
Sat 27 Dec’08
大野方面
5月5日、田ノ浦に官軍が上陸。材木村は田ノ浦から人吉に通じる要路であったため鵬翼隊四・六番中隊は材木村に見張りを置き、大野口を守備した。5月6日、官軍が材木村の鵬翼隊四番中隊を攻めたので、薩軍はこれを迎え撃ち、一旦は佐敷に退却させることに成功した。しかし5月9日、官軍は再び材木村の鵬翼隊六番中隊を攻めた。激戦がおこなわれたが、薩軍は敗れてしまい、長園村に退いた。このとき淵辺が本営より干城隊八番中隊左半隊を応援に寄越したので、官軍を挟み撃ち攻撃で翻弄し、塁を取り戻した。また、5月9日、一ノ瀬の鵬翼隊三番中隊は官軍の襲来に苦戦しつつも材木村まで到達し、材木村の薩軍と共に塁の奪還に成功した。さらに5月9日、鵬翼隊二・五番中隊、干城隊四番中隊、その他諸隊は佐敷方面湯ノ浦の官軍を攻めたが失敗し大野に退却した。5月16日、官軍が一ノ瀬の鵬翼隊五番中隊を攻撃した。薩軍は苦戦したが、大野からきた干城隊三番中隊の参戦により官軍を退けることができた。
5月20日、別働第三旅団が久木野に進入した。大野本営にいた淵辺は干城隊番三・四・八番中隊に命令して久木野の官軍を襲撃させ、退却させることに成功した。この戦いは薩軍の圧勝となり、銃器や弾薬、その他の物品を多く得た。5月22日、淵辺は佐敷口の湯ノ浦に進撃することを決め、干城隊三・四番中隊、鵬翼隊六番中隊、その他2隊に進軍を命じた。またこの日、大野の本営にいた辺見は久木野に進撃することを決意し、淵辺に応援を要求した。淵辺群平は干城隊八番中隊を久木野に寄越した。そこで、たまたま大野口から湯ノ浦に進撃していた干城隊三・四番中隊と合流し、官軍を退けた。5月23日、別働第三旅団が倉谷・高平・大野方面の薩軍を次々と破り、大野に進入してきた。鵬翼隊五番中隊左小隊、干城隊二番中隊は防戦したが、敗れて石河内に退却した。久木野にいた干城隊八番中隊も参戦しようとしたが、大野の塁は官軍に奪われてしまった。淵辺群平は、塁を奪還するため夜襲を命じたが、官軍の反撃で退却した。この日、一ノ瀬の鵬翼隊三番中隊の塁にも官軍が襲来した。三番中隊は大野口の敗報を聞き、左小隊を鎌瀬、右小隊を植柘に分けて退いた。その後神ノ瀬方面も敗れたという報告を聞き、舞床に退いた。鵬翼隊二番中隊は岩棚より程角道三方堺に退却した。
5月28日明け方、官軍が舞床の鵬翼隊三番中隊を襲った。この日は防戦に成功したが、官軍は5月29日に再び鵬翼隊三番中隊右半隊を攻撃。薩軍は塁を捨てて後退したが、鵬翼隊三番中隊左小隊の活躍により塁を取り返し、銃器・弾薬を得た。この夜、三方堺の鵬翼隊二番中隊も襲われ、弾薬不足のため背進した。このため舞床の薩軍は鵯越に退いた。札松方面の鵬翼隊二番中隊が人吉に退却したため、振武隊二番中隊・干城隊八番中隊は程角越の応援のために進撃し、振武隊二番中隊は程角本道の守備を開始した。鵬翼隊二番中隊も同じく程角越に進撃した。5月30日の夜明け頃、官軍が程角左翼の塁を攻撃し、薩軍は敗北した。官軍は勢いに乗じて干城隊八番中隊・振武隊十六番小隊を攻めた。薩軍各隊は大いに苦戦し、次々と兵を原田村に引き揚げた。激しい攻防が続き、勝敗は決まらず夜になった。翌日薩軍各隊は原田村に兵を配置した。
6月1日早朝、諸道の官軍が人吉に向かって進撃した。諸方面の薩軍はすべて敗れ、人吉や大畑に退却した。これを知った中神村の鵬翼隊六番中隊・雷撃隊五番中隊・破竹隊一番中隊、その他2隊、鵯越の鵬翼三番中隊、戸ノ原の鵬翼隊五番中隊等の諸隊は大畑に退却した。原田村の干城隊八番中隊・振武隊二番中隊・鵬翼隊二番中隊・振武隊十六番小隊、郷之原の破竹隊四番中隊、深上の雷撃隊一番中隊、馬場村の雷撃隊二番中隊等は人吉の危機を聞き、戦いながら人吉に向かった。
[編集] 人吉攻防戦
4月30日、常山隊三番中隊は中村、遊撃隊六番小隊春田吉次は頭治などそれぞれ要地を守備したが、5月3日から7日までの宮藤の戦い、5月10日から14日までの平瀬の戦いで、官軍は中村中佐の活躍によりこれらを敗走させることに成功した。中村中佐は5月21日、横野方面の薩軍を襲撃し、岩野村に敗走させた。一方、尾八重を守っていた干城隊二番中隊は岩野村を守備し、5月22日、前面の官軍を襲撃し敗走させた。さらに追撃しようとしたが弾薬が不足していたこともあり、米良の西八重に退却した。
別働第二旅団は7つの街道から球磨盆地に攻め入る作戦をたて、5月1日から9日までこの作戦を遂行した。まず前衛隊は球磨川北岸沿いを通る球磨川道、南岸沿いを通る佐敷道から攻めたが、街道は大部隊が通るには困難な地形であったために官軍は各地で薩軍に敗退した。しかし、人員・物資の不足により、薩軍は当初の勢いがなくなった。そこを突いて5月12日、別働第二旅団は球磨盆地の北部にある五家荘道等の5つの街道から南下し始めた。薩軍の球磨川北部の守りが薄かったので、別働第二旅団は12日から25日までの13日間に五木荘道の頭治・竹の原、球磨川道の神瀬、種山道、仰烏帽子岳など多くの要地を陥落させた。
作業終了しております。
5月5日、田ノ浦に官軍が上陸。材木村は田ノ浦から人吉に通じる要路であったため鵬翼隊四・六番中隊は材木村に見張りを置き、大野口を守備した。5月6日、官軍が材木村の鵬翼隊四番中隊を攻めたので、薩軍はこれを迎え撃ち、一旦は佐敷に退却させることに成功した。しかし5月9日、官軍は再び材木村の鵬翼隊六番中隊を攻めた。激戦がおこなわれたが、薩軍は敗れてしまい、長園村に退いた。このとき淵辺が本営より干城隊八番中隊左半隊を応援に寄越したので、官軍を挟み撃ち攻撃で翻弄し、塁を取り戻した。また、5月9日、一ノ瀬の鵬翼隊三番中隊は官軍の襲来に苦戦しつつも材木村まで到達し、材木村の薩軍と共に塁の奪還に成功した。さらに5月9日、鵬翼隊二・五番中隊、干城隊四番中隊、その他諸隊は佐敷方面湯ノ浦の官軍を攻めたが失敗し大野に退却した。5月16日、官軍が一ノ瀬の鵬翼隊五番中隊を攻撃した。薩軍は苦戦したが、大野からきた干城隊三番中隊の参戦により官軍を退けることができた。
5月20日、別働第三旅団が久木野に進入した。大野本営にいた淵辺は干城隊番三・四・八番中隊に命令して久木野の官軍を襲撃させ、退却させることに成功した。この戦いは薩軍の圧勝となり、銃器や弾薬、その他の物品を多く得た。5月22日、淵辺は佐敷口の湯ノ浦に進撃することを決め、干城隊三・四番中隊、鵬翼隊六番中隊、その他2隊に進軍を命じた。またこの日、大野の本営にいた辺見は久木野に進撃することを決意し、淵辺に応援を要求した。淵辺群平は干城隊八番中隊を久木野に寄越した。そこで、たまたま大野口から湯ノ浦に進撃していた干城隊三・四番中隊と合流し、官軍を退けた。5月23日、別働第三旅団が倉谷・高平・大野方面の薩軍を次々と破り、大野に進入してきた。鵬翼隊五番中隊左小隊、干城隊二番中隊は防戦したが、敗れて石河内に退却した。久木野にいた干城隊八番中隊も参戦しようとしたが、大野の塁は官軍に奪われてしまった。淵辺群平は、塁を奪還するため夜襲を命じたが、官軍の反撃で退却した。この日、一ノ瀬の鵬翼隊三番中隊の塁にも官軍が襲来した。三番中隊は大野口の敗報を聞き、左小隊を鎌瀬、右小隊を植柘に分けて退いた。その後神ノ瀬方面も敗れたという報告を聞き、舞床に退いた。鵬翼隊二番中隊は岩棚より程角道三方堺に退却した。
5月28日明け方、官軍が舞床の鵬翼隊三番中隊を襲った。この日は防戦に成功したが、官軍は5月29日に再び鵬翼隊三番中隊右半隊を攻撃。薩軍は塁を捨てて後退したが、鵬翼隊三番中隊左小隊の活躍により塁を取り返し、銃器・弾薬を得た。この夜、三方堺の鵬翼隊二番中隊も襲われ、弾薬不足のため背進した。このため舞床の薩軍は鵯越に退いた。札松方面の鵬翼隊二番中隊が人吉に退却したため、振武隊二番中隊・干城隊八番中隊は程角越の応援のために進撃し、振武隊二番中隊は程角本道の守備を開始した。鵬翼隊二番中隊も同じく程角越に進撃した。5月30日の夜明け頃、官軍が程角左翼の塁を攻撃し、薩軍は敗北した。官軍は勢いに乗じて干城隊八番中隊・振武隊十六番小隊を攻めた。薩軍各隊は大いに苦戦し、次々と兵を原田村に引き揚げた。激しい攻防が続き、勝敗は決まらず夜になった。翌日薩軍各隊は原田村に兵を配置した。
6月1日早朝、諸道の官軍が人吉に向かって進撃した。諸方面の薩軍はすべて敗れ、人吉や大畑に退却した。これを知った中神村の鵬翼隊六番中隊・雷撃隊五番中隊・破竹隊一番中隊、その他2隊、鵯越の鵬翼三番中隊、戸ノ原の鵬翼隊五番中隊等の諸隊は大畑に退却した。原田村の干城隊八番中隊・振武隊二番中隊・鵬翼隊二番中隊・振武隊十六番小隊、郷之原の破竹隊四番中隊、深上の雷撃隊一番中隊、馬場村の雷撃隊二番中隊等は人吉の危機を聞き、戦いながら人吉に向かった。
[編集] 人吉攻防戦
4月30日、常山隊三番中隊は中村、遊撃隊六番小隊春田吉次は頭治などそれぞれ要地を守備したが、5月3日から7日までの宮藤の戦い、5月10日から14日までの平瀬の戦いで、官軍は中村中佐の活躍によりこれらを敗走させることに成功した。中村中佐は5月21日、横野方面の薩軍を襲撃し、岩野村に敗走させた。一方、尾八重を守っていた干城隊二番中隊は岩野村を守備し、5月22日、前面の官軍を襲撃し敗走させた。さらに追撃しようとしたが弾薬が不足していたこともあり、米良の西八重に退却した。
別働第二旅団は7つの街道から球磨盆地に攻め入る作戦をたて、5月1日から9日までこの作戦を遂行した。まず前衛隊は球磨川北岸沿いを通る球磨川道、南岸沿いを通る佐敷道から攻めたが、街道は大部隊が通るには困難な地形であったために官軍は各地で薩軍に敗退した。しかし、人員・物資の不足により、薩軍は当初の勢いがなくなった。そこを突いて5月12日、別働第二旅団は球磨盆地の北部にある五家荘道等の5つの街道から南下し始めた。薩軍の球磨川北部の守りが薄かったので、別働第二旅団は12日から25日までの13日間に五木荘道の頭治・竹の原、球磨川道の神瀬、種山道、仰烏帽子岳など多くの要地を陥落させた。
作業終了しております。
— posted by サイト管理者 at 05:55 pm
衛星を搭載する方式
Sat 13 Dec’08
第1射点 (LP-1)
H-II用に建設された射点で、後にH-IIAに合わせて大幅な改造を受けた。
H-IIは、後述のVABで組み立てられる際には衛星を搭載せず、第1射点へ移動してから搭載する。このためH-IIは射点に長期間とどまり、衛星搭載作業を行うほか、多少の不具合は射点で補修しなければならない。そこで、射点には射座点検塔(PST)が設けられ、観音開き式の扉で機体をすっぽりと覆う構造になっていた。上部には、衛星を吊り上げてロケットに搭載する設備が設けられており、HOPEなどの大型ペイロードにも対応していた。ロケットに推進剤を供給する配管や電力・信号のケーブル(アンビリカル)は、PSTから直接ロケットに接続する構造だった。
H-IIAでは、VABでロケットに衛星を搭載する方式に改められたこと、アンビリカルの接続が移動発射台を介して行われるようになったこと、ロケットは打ち上げ直前にVABから射点に移動し問題発生時はVABへ戻して整備するようになったことから、PSTは全く不要になった。代わって、気象観測と避雷針の役を負う塔が2基設置された。PSTは扉だけが撤去され、塔本体は残っているが、これは単に「さしあたって邪魔ではないから」であり、撤去予算の優先順位が低く放置されているだけのことである。
現在は、H-IIAの202、2022、2024、204の各型の打ち上げに使用されている。
第2射点 (LP-2)
H-IIAの開発に合わせて、新たに増設された。当初からPSTが設置されていないため、シンプルな外観になっている。H-IIAの開発時に計画されていた増強型(212、222型)に対応した設備だが、これらは開発が中止され、代わって開発中のH-IIBに使用される予定である。H-IIAは、14号機まで使用したことはない。
大型ロケット組立棟 (VAB)
大型ロケット組立棟工場から搬入されたロケットを、移動発射台上に組み立てて整備する施設。当初はH-IIを1機整備できる構造だったが、H-IIAの開発に合わせて北側へ増築し、2機同時に整備できるようになった。
H-IIは、VABで組み立てられると衛星を搭載せずにPSTへ移動するため、空いたVABで次の機体の組立が可能だった。H-IIAは衛星搭載も含め打ち上げ前日までVABで整備を行う方式に改められたため、2機連続で打ち上げを行う際にはVABに2機格納する必要が生じ、増築されたのである。実際に、H-IIA8号機と9号機はVABで2機並んで整備され、わずか25日の間隔で打ち上げることができた。
ロケットの最大の部品である1段目は、山側の低層部に専用コンテナごと搬入され開梱される。先端を海側の高層部で吊り上げられて起立し、移動発射台上に据え付けられる。この手順が、低層部と高層部からなるVABの独特のシルエットを決定している。
VAB内には跳ね上げ式の床が多数あり、組み立てたロケットの周囲に足場を作ることができる。南側のVAB1の床板には、H-IIA212・222型のLRBに対応した穴が空けられており、結果として204型のSRBにも対応している。北側のVAB2にはこの穴がないため、204型には対応できない。また、どちらもH-IIBの直径5.2mの1段目は想定していない。そこで、VAB2の床板をH-IIB対応仕様に改修することになった。
大型ロケット移動発射台 (ML)
日本国内では唯一のロケット移動型発射台である。発射台を移動する方式のメリットは、組立棟と射点を分離することで、複数のロケットを流れ作業で運用できる点である。打ち上げ間隔を短縮できるメリットがあり、スペースシャトルなどにも採用されているが、全体に施設が大掛かりでコスト高になりやすいデメリットもある。
確認しています。
H-II用に建設された射点で、後にH-IIAに合わせて大幅な改造を受けた。
H-IIは、後述のVABで組み立てられる際には衛星を搭載せず、第1射点へ移動してから搭載する。このためH-IIは射点に長期間とどまり、衛星搭載作業を行うほか、多少の不具合は射点で補修しなければならない。そこで、射点には射座点検塔(PST)が設けられ、観音開き式の扉で機体をすっぽりと覆う構造になっていた。上部には、衛星を吊り上げてロケットに搭載する設備が設けられており、HOPEなどの大型ペイロードにも対応していた。ロケットに推進剤を供給する配管や電力・信号のケーブル(アンビリカル)は、PSTから直接ロケットに接続する構造だった。
H-IIAでは、VABでロケットに衛星を搭載する方式に改められたこと、アンビリカルの接続が移動発射台を介して行われるようになったこと、ロケットは打ち上げ直前にVABから射点に移動し問題発生時はVABへ戻して整備するようになったことから、PSTは全く不要になった。代わって、気象観測と避雷針の役を負う塔が2基設置された。PSTは扉だけが撤去され、塔本体は残っているが、これは単に「さしあたって邪魔ではないから」であり、撤去予算の優先順位が低く放置されているだけのことである。
現在は、H-IIAの202、2022、2024、204の各型の打ち上げに使用されている。
第2射点 (LP-2)
H-IIAの開発に合わせて、新たに増設された。当初からPSTが設置されていないため、シンプルな外観になっている。H-IIAの開発時に計画されていた増強型(212、222型)に対応した設備だが、これらは開発が中止され、代わって開発中のH-IIBに使用される予定である。H-IIAは、14号機まで使用したことはない。
大型ロケット組立棟 (VAB)
大型ロケット組立棟工場から搬入されたロケットを、移動発射台上に組み立てて整備する施設。当初はH-IIを1機整備できる構造だったが、H-IIAの開発に合わせて北側へ増築し、2機同時に整備できるようになった。
H-IIは、VABで組み立てられると衛星を搭載せずにPSTへ移動するため、空いたVABで次の機体の組立が可能だった。H-IIAは衛星搭載も含め打ち上げ前日までVABで整備を行う方式に改められたため、2機連続で打ち上げを行う際にはVABに2機格納する必要が生じ、増築されたのである。実際に、H-IIA8号機と9号機はVABで2機並んで整備され、わずか25日の間隔で打ち上げることができた。
ロケットの最大の部品である1段目は、山側の低層部に専用コンテナごと搬入され開梱される。先端を海側の高層部で吊り上げられて起立し、移動発射台上に据え付けられる。この手順が、低層部と高層部からなるVABの独特のシルエットを決定している。
VAB内には跳ね上げ式の床が多数あり、組み立てたロケットの周囲に足場を作ることができる。南側のVAB1の床板には、H-IIA212・222型のLRBに対応した穴が空けられており、結果として204型のSRBにも対応している。北側のVAB2にはこの穴がないため、204型には対応できない。また、どちらもH-IIBの直径5.2mの1段目は想定していない。そこで、VAB2の床板をH-IIB対応仕様に改修することになった。
大型ロケット移動発射台 (ML)
日本国内では唯一のロケット移動型発射台である。発射台を移動する方式のメリットは、組立棟と射点を分離することで、複数のロケットを流れ作業で運用できる点である。打ち上げ間隔を短縮できるメリットがあり、スペースシャトルなどにも採用されているが、全体に施設が大掛かりでコスト高になりやすいデメリットもある。
確認しています。
— posted by サイト管理者 at 02:10 pm














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